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アジア全域におけるトップレベルの女性弁護士から、成功、戦略、奮闘、喪失など、パーソナルなストーリーを集め、法曹界のプロフェッショナルとしての姿を描きます。(レポート/Putro Harnowo)

曹界は長い間、凝り固まった「少年クラブ」のような精神に対して批判を受けてきました。しかし、Linklaters、Herbert Smith Freehills、Freshfields Bruckhaus Deringerなどの多国籍企業が、グローバルな事業を主導する最初の女性弁護士を選出するという最近の動きは、確かに目覚ましい変化といえます。

問題は、そのような世界的な進歩が、アジアの複雑な法的および文化的エコシステムにおいて、より広範な飛躍の始まりとなるのかどうかです。

多くの研究により、性別と民族の多様性がビジネスと意思決定に適していることがわかっています。McKinsey & Companyは、2020年のレポート「Diversity wins: How inclusion matters.(多様性の勝利:インクルージョンの重要性)」で次のように述べています。性別の多様性がある経営陣の上位4分の1は、最も多様性の低いチームよりも平均以上の収益性に貢献する可能性が25%高いことがわかりました。経営幹部の30%以上が女性である企業は、女性の幹部が少ない、またはまったくいない企業より、業績が優れている可能性が高いのです。また、数多くの報告が、包括性についての数字がゆっくりと改善していると指摘しています。

それでも、女性はリーダーシップのトップとしては過小評価されたままです。米フォーチュン誌発表の「Fortune 500」の企業を経営する女性の数は昨年37社の記録に達し、その数は増え続けていますが、それでも同誌が毎年まとめている企業の7.4%にすぎません。アジア法曹界におけるジェンダー格差は、良い状況にはありません。

この特集は、アジア全体で司法にたずさわる女性たちのパーソナルストーリーを紹介するとともに、多様な共有体験を描きました。同時に、後に続く人たちに向けての忠告、体験、激励の声もご紹介します。


Naomi Koshi

[ 日本 ]

先駆者

越 直美氏、元大津市長、三浦法律事務所(東京)のパートナー

越直美氏が、滋賀県の県庁所在地である大津市の市長に選出されたのはわずか36歳の時。日本で最年少で、わずか2%の女性市長の1人になりました。2012年から2020年まで、任期4年の2期の間、彼女は、育児へのアクセスの改善を含む、産後も女性が労働力としてとどまるための男女平等参画を提唱しました。

弁護士から公職への長い道のりの中で、この日本における女性の権利の擁護者は、数多くの場面で、他の人達が従う道を切り開く必要がありました。これは、この国の保守的な文化において、男女平等のゆっくりとした発展となりました。

越氏は、2002年に西村あさひ法律事務所でアソシエイトとしてキャリアをスタートし、その後ハーバード大学ロースクールで学び、Debevoise & Plimptonで勤務しました。現在は、三浦法律事務所のパートナーとして個人実務に戻り、日本のコーポレートガバナンスと新興企業エコシステムにおける性別の多様性について顧客に助言を行っています。

「私が本当にどん底に陥ったのは、2000年に日本の司法試験に合格するまで、司法試験に3回失敗したときでした」と彼女は回想します。「私は北海道大学を卒業しました。景気後退の影響で、女性の就職は非常に難しく、司法試験に合格するしかありませんでした。男性の卒業生は、日本の大企業で比較的簡単に良い仕事を見つけることができました」

「女性として、私は司法試験を通過する以外に、たくさんの選択肢はありませんでした。それが男女の職業上の不平等に気づいた最初の時でした。また失敗したらどうしようかと、毎日不安でした。私にとってどん底の時期でしたが、日本の女性の平等のために働くことを私の心に植え付け、後に、最終的に私の勇気とモチベーションに貢献した経験でした」

越氏のもう一つの転換期は、2009年にハーバード大学ロースクールの卒業後に起こりました。「次のキャリアステップに迷ったんです」と彼女は言います。「私はすでに10年間、法曹界で働いていましたが、同じ仕事を続けるべきか、それとももっと大きなリスクを冒して市長に立候補するべきか、わかりませんでした。日本の女性の状況を改善することを強く望んでいましたが、日本の政治家に忠告を求めたところ、落胆させられた人もいました。彼らは私が若すぎて経験が浅く、市長にしなれないと言いました。その時点で、私は自分自身をひどく疑いました。しかし友人の一人がこう言ったんです。『あなたはラッキーです。世界のほとんどの人は、どこに住むか、何をするかを選ぶことができません。あなたには選ぶ自由があります』」

「これは恐ろしい時期でしたが、このような大きなリスクを冒して転職することは、私の人生の最高のポイントの一つになりました。私には選択肢と自由があり、そのリスクを冒す勇気を発見しました。また、その勇気を見つけるのを手伝ってくれた協力的な友人がいたことも幸運でした」

過去10年間で、法曹界の女性に対する態度は改善されましたが、その変化は小さすぎると越氏は言います。2008年、日本には3,599人の女性弁護士がいましたが、全体の14%にすぎませんでした。2018年には、女性弁護士の数は7,474人に増加し、2倍以上になりましたが、それでもこの分野では19%にすぎません。女性弁護士の総数は2倍になったものの、比率は5%しか増加しておらず、まだ女性は、日本の弁護士の中で少数派であると彼女は言います。

「私が考えたところによれば、女性弁護士にとっての主要な障壁の一つは、育児を取り巻くより大きな社会問題と、子育てに関して女性に向けられる期待に関係しています」と彼女は言います。「日本の女性は依然として、子供の主な介護者として期待されており、子供のいる女性労働者への不十分な育児サービスと相まって、働く女性にとって最大の障壁となっています。一般的に長い時間を必要とする法曹界では、障壁はさらに大きくなる可能性があります」

「他の業界の女性と同様に、女性弁護士は子供たちの世話をする保育園を見つけるのに苦労することがよくあります。保育園を見つけることができたとしても、遅くまで働かなければならないことが多いため、閉園時間前に子供を迎えに行くことができない場合があります。また、日本では、ベビーシッターは弁護士にとっても高価です。それゆえに、女性弁護士が法律の現場で実践しつつ、子育てもすることは難しくなりがちです。これが私が市長に立候補した主な理由でした。日本で働く女性の状況を変えるためなんです」

新人で選出された市長として、越氏が気付いたのは、部下のほとんどすべてが自分より年上の男性で、多くは50代の、生涯のずっと公務員の地位にある人達であるということでした。「ある日、職員達との会議で、自分の政策の一つを採用するよう説得しようとしました。すると管理職の一人が怒って、叫び、机を叩きました。彼らは時々、私に直接ではなく、市民に対して、私のリーダーシップは『強すぎる』と言いました。私は自分で決断し、他人の言うことを聞かないと言うのです。しかし、彼らは、前市長を同じように扱ったのでしょうか? もちろん、彼らはそうしませんでした。元市長は70歳の男性でした。その前の市長は80歳の男性でした。職員達は若い女性の話を聞くのが好きではなかったのです」

2016年、2期目の選挙運動のときに事態は激しくなりました。「駅でチラシを配っていると、50歳くらいの男性が私に話しかけ、高校の経歴について不平を言い始め、それから私を蹴りました。同じく50歳くらいの別の男性が、私に向かって叫びました。『あなたは間違っているし、強すぎる。年配の人の言うことを聞こうとしない』。日本では、強い女性に対する抵抗がたくさんあります。多くの人々は依然として、男女間の時代遅れで不公平な不平等に固執しているのです」

このような、性別による偏見にかかわらず、越氏には目標と約束があり、それを達成することを決意しました。「市役所の職員に、育児制度の改善などの私の方針と、なぜそれが女性労働者と地域社会全体にとって、それほど重要なのかを理解してもらいたいと思いました」と彼女は言います。「徐々に、彼らは私の方針と私の性格を理解するようになりました。また、数多くの打ち合わせを通して、一部の職員や市民達が私の方針に反対した理由を理解するようになりました。それぞれの問題や政策目標について話し合ううちに、人としてお互いをより良く理解するようになり、状況は改善しました」

「私は保育システムの改善に注力し、約3,000人の子供たちのために54の保育園を建設しました。5歳未満の子供を持つ働く母親の数は70%増加し、今では働き続けることを選択できるようになりました」

越氏は、法律事務所の女性弁護士、特に大企業の弁護士にとっての新たな課題は、多くの場合、深夜までの長時間労働に起因すると述べています。その結果、子供を持つ女性弁護士は、代わりに社内弁護士として働くことを選択します。

「市長を辞任した後、次の疑問は、女性が働き続けることができたとしても、女性は会社の中で、男性と同じ立場にいられるのかということでした。女性は男性と同じ給料をもらえるでしょうか? 答えはノーです。私の次の目標は、取締役会に参加し、指導的立場にある女性を増やすことです!」

「法律の実務に加えて、三浦法律事務所の同僚の松澤香と一緒に、日本の企業の取締役会を多様化するために、新しくOnBoard株式会社を立ち上げました。女性の取締役と候補者を訓練し、女性の取締役を探している企業と候補者にマッチングサービスを提供します」


Jaclyn Tsai

[ 台湾 ]

選択による成功

Jaclyn Tsai氏、Lee Tsai & Partners(台北)の共同創設者

地方裁判所の裁判官から多国籍企業の顧問弁護士、法律事務所の設立、政府の大臣まで、Jaclyn Tsai氏はキャリアの中で複数の頂点に達し、台湾の真の男女共同参画に必要な変化についての観察に、さらに力を入れています。例えば、女性弁護士の数が増えていること心強く見ていますが、指導的立場にある女性の決定的な不足については、すぐに批判の目を向けます。

Tsai氏は、法務省が発表した統計によると、台湾の司法試験に合格する女性の数は、2015年の34.9%から現在の40%近くまで、過去数年間で徐々に増加していると指摘しています。さらに、女性は台湾の人口の45%を占め、大学院の学位を取得している人もいます。

「女性弁護士の数は、まもなく男性弁護士の数と同じになるでしょう」とTsai氏は言います。「しかしリーダーシップや起業家の立場においては、男性と女性の間に違いがあります。法律事務所の経営パートナーと創設者は依然として主に男性であり、これは他の業界でも同じで、台湾ではCEOのわずか8%を女性が占めています」

「私が見たところ、この現象は、女性がまだ仕事と家庭生活のどちらかを選択しなければならないために起きています。急増する訴訟に取り組み、ネットワークの構築に時間を費やさなければならない法律事務所の経営パートナーまたは創設者であることは、多くの女性にとって、家庭を築くのには役立たないと感じるのかもしれません。そのため、多くの女性が社内弁護士の立場を選択しているのを目にします。そこでは、女性はワークライフバランスをより多く持つことができると感じているのです」

「多くの女性と同じように、私は自分のキャリアの中で、家庭と大規模な多国籍企業における集団生活を選択するという岐路に立っていました。多国籍企業の幹部である私は、世界中を旅するのにかなりの時間を費やしました。そのため、家族と過ごす時間は不足していました。当時、子供たちはまだ幼かったので、私はより高い地位の追求をあきらめて、台湾に戻り法律事務所を創業することにしました」

Tsai氏は、IBM Greater Chinaの顧問弁護士を辞任した後、1998年にパートナーのLee Chung-teh氏と共にLeeTsai & Partnersを設立しました。2013年、彼女は再び転職。今度は政治の世界に入り、デジタル関連政策の無任所大臣に任命されました。任期中、彼女は仮想世界の開発、eコマース、シェアリングエコノミー、デジタルコンバージェンス、スタートアップ環境、オープンデータ、およびデータガバナンスに関連する法律の改革を担当しました。

「私のキャリアの最頂点は、無任所大臣に任命されたことでした」と彼女は言います。「私は、多くのハイテク企業や新興企業で法曹業界の弁護士として働いた実際的経験と知識から、業界のプレーヤーにとって意味のある政府の政策を主導することまで、実際的経験と知識を得ることができました。それは私のキャリアの中で最も挑戦的な立場の一つでしたが、同様に最もやりがいのある立場の一つでした。

「私のキャリアで一番つらかったのは、IBMでのキャリアの追求をあきらめなければならなかったことといえます。そうは言っても、私は物事は全てうまくいくと信じています。非常にやりがいのある旅であった法律事務所を立ち上げる道を選択しなかったとしたら、私のキャリアの中でその最頂点に到達することはなかったでしょう」

Tsai氏は、台北市政府のスマートシティ委員会とデータガバナンス委員会の委員を務めながら、2016年に法律事務所に戻りました。現在、台湾女董事協会および台湾フィンテック協会の理事長も務めています。


Lorna Chen

[ 香港 ]

人材パイプライン

Lorna Chen氏、アジア地域経営パートナー、Shearman Sterlingのグレーターチャイナ責任者

Shearman & Sterlingのエグゼクティブグループのメンバーである Lorna Chen氏は、アジアでの資産管理と投資ファンドプラクティスを設立・主導しています。投資ファンドと未公開株式投資の分野で20年以上の経験があり、オルタナティブ投資商品、共同投資構造の構築、再構築、および運用について、お客様に助言しています。

Chen氏は、2008年に香港に移転する前に、同事務所のニューヨーク・オフィスで8年間働いていました。メディアや主要な業界会議を通じて、この地域の投資動向について頻繁に市場コメンテーターを務めています。

「女性の人材パイプラインの開発に対する意識が高まり、重点が置かれていると思います」と彼女は言います。「女性の法律専門家が直面する問題についてよりオープンな議論が行われ、そのような、進歩を遂げるために不可欠な話し合いに積極的に参加する男性の支持者が増えています。性別の多様性の取り組みはますます制度化され、企業文化に組み込まれるようになりました」

「Shearman & Sterlingでは、多様性と包括性は骨組みの一部であり、グローバルなエリート法律事務所として、私たちが何者であるか、そして私たちが行うすべてのことに織り込まれています。私たちは2018年に、専任のグローバルな多様性&包括的タスクフォースを設立し、私はそのメンバーになっています。私たちの女性パートナーまたはアソシエイトメンタリングサークルは、女性アソシエイトにメンタリングを自ら選択し、女性パートナーや同僚と共感するようなやり方で関わる機会を提供します」

「私が観察したところ、考え方の前向きな変化は、女性たちが法曹界での長期的なキャリアを追求することに、より貢献しています。しかし、法律事務所の女性リーダーは依然として不釣り合いに少ないため、改善の余地はまだたくさんあります。私たちは、女性が職場や社会で直面し続けている体系的な障壁を研究し、対処する必要があります」

「努力をしてお客様や会社に認められ、キャリアを常に前進させて上級管理職に就くということは、信じられないほどやりがいを感じます。しかし、私の業績よりもさらにやりがいのあることは、社内や、より広範な法律コミュニティで後輩の女性弁護士を支援・育成をすることです。最高のレベルを目指すために、もっと多くの人に刺激を与えたいと思います」

「後輩の弁護士には、オープンマインドを保ち、さまざまな分野について学ぶことアドバイスしたいと思います。柔軟でさまざまな種類の業務を試すことは、自分が最も何に楽しみを得ているかを理解するのに役立ちます。なぜなら、最終的には、あなたの仕事はあなたに喜びをもたらすべきだからです。キャリアの成功は、慎重に設計すれば実現するのではなく、常に新しい機会を受け入れることによって実現します。私のもう一つのヒントは、あなたが現在の状況に満足していないのであれば、率先して、自分がなりたい場所に向かって動くように、自分に変更を求めることです。求めなければ、何が自分に可能なのかはわからないのです」


Tiziana Sucharitkul

[ タイ ]

トップからの視点

Tiziana Sucharikul氏、Tilleke Gibbins(バンコク)の紛争解決および訴訟グループの共同経営パートナー兼ディレクター

「法曹界の女性に対する態度は、確かに過去10年間で良くなっています。それは、改善への長い努力の継続だと思います」とTiziana Sucharitkul氏は言います。「過去10年間の変化の多くは、はるか以前に、特に法曹界の女性に対して開かれた機会の水準に関して始まった活動の結果です。世界中の法律事務所の経営に女性が加わったことをうれしく思います。1980年代から1990年代に始まった男女共同参画の改革は、2000年代と2010年代に成熟し始めました」

「もちろん、いくつかの障壁はまだ存在します。特に、女性が家族を養いながら、法律事務所を経営することはできないという想定はナンセンスです。しかしこれは、より平等主義的なリーダーシップによって新しい事例が生まれるごとに、消えつつあります」

Sucharitkul氏の、法曹界のリーダーシップを発揮する女性に関する発言は、アジアで最も尊敬されているものの一つであり、プロフェッショナルなサービスの多様性と平等に関する世界的なイベントで、定期的に講演を行っています。それゆえに、たとえそれが警告であったとしても、彼女の観察は勇気を与えます。

「多くの企業では、女性は上級管理職レベルで少数の存在ですが、女性が上級管理職または経営職のパートナーの役割を担っているのは、もはや驚くべきことではありません」と彼女は言います。「その傾向は進み続けるはずです。資格を取得したばかりのレベルでは、これまで以上に多くの女性が職業に就き、法科大学院ではたびたび女性が過半数を占めています。この新しい集団がパートナーシップレベルに達するまでには、バランスははるかに均一になると期待しています」

「考え方や労働文化は、それに伴って前向きに変化します。不思議なことに、非常に大きな障壁が打ち破られたとしても、それは小さな物事が継続しているかのように見えるのです。例えば私は今でも、善意ある進歩的な年配の弁護士が、上級の女性パートナーを『女性弁護士』または同等の用語で呼ぶのを目撃します。その人たちは、単に語彙の更新ができていないのです。それが次の大きな変化だと思います」

「ガラスの天井はしばらくの間は、ひび割れしていきます。それが粉々になったとしても、文化の変化にはもう少し時間がかかるでしょう。また、一部の司法管轄での変更は、他よりも必然的に時間がかかることも注目に値します」

2021年、Sucharitkul氏は、国際法曹協会の法律事務所経営委員会のメンバーとして2年間の任期を開始しました。彼女はまた2018年から2019年まで、Tilleke & Gibbinsがメンバーとなっている、独立した法律事務所の主要なグローバルネットワークLex Mundiの取締役会の議長も務めました。現在、彼女は Lex Mundi の Pro Bono Foundation の理事を務めており、 Women’s Initiative Network to Successにも積極的に関わっています。

「私はキャリアのほとんどで Lex Mundi に深く関わってきました。世界規模で指導的立場に立つ機会が持てることは、非常に感謝しています」と彼女は述べています。「とはいえ、私がキャリアにおいて最も満足しているのは、Tilleke & Gibbins の2人の共同経営パートナーの一人としての役割です。2006年にこの職に就任して以来、私はチームと協力して、2つのオフィスから、6ヵ国で7つのオフィスにまで事務所を成長させ、お客様へのサービスを継続的に改善し、東南アジアのマーケットリーダーとしての地位を確固たるものにしました。それは個々の結果ではなく、キャリアにおいて持続する努力の結果ですが、間違いなく私が最も誇りに思っているのは、このキャリアの成果です」

「共同経営パートナーであることは、社内で事務所を最大限に強化する方法を見つけ出すことであれ、新型コロナウイルス感染症(Covid-19)のパンデミックなど、世界的な危機を乗り越えて会社を導くことであれ、最大の課題を提供してくれます。これらの課題を乗り越えて会社を導くことは確かにクライマックスの連続であり、今後さらに多くの課題が発生すると確信しています」

「確かに、他の人よりも多くの仕事をしなければならないと感じたことがあります。特に、国際的な環境では、法曹界の女性の数と年功が劇的に変化する可能性があります。しかし、私はキャリアのほとんどを、多様性を尊重し、優れた能力を持つ可能性のある人々に平等な機会を与える事務所で過ごすことができて、非常に幸運です。現在、Tilleke & Gibbinsの共同経営パートナーとして、すべての事務所の人材に平等な競争の場を提供する取り組みを支える、この実力主義の環境の維持・強化を探し求めています」


Rahayu Ningsih Hoed

[ インドネシア ]

法の犠牲者

Rahayu Ningsih Hoed氏、MakarimTaira S(ジャカルタ)のシニアパートナー

何事も代償があるように見えますが、時にはその代償は高すぎることがあります。男性優位の職業環境におけるRahayu Ningsih Hoedの戦いは、多くの点で他の司法に従事する女性たちにとってなじみのあるもので、彼女にはその苦い展開は浄化でもあり、悲劇でもありました。

「特にアジアでは、働く女性にとって、キャリアを積むことと、従順な娘、成功した妻や母親になることの間に常に戦いがあります」と彼女は言います。「女性は家族の面倒をみて、男性は稼ぎ手であるという伝統的な考え方があります。多くの女性が法曹界で男性と同等に成功していることが証明されていますが、危機に瀕したとき、私たちはしばしば自分のキャリアと家族のどちらかを選ばなければなりません」

「私はかつて、そのような難しい選択に直面しました。以前、咳を訴える夫に付き添うよりも、各国の関係者が集まる重要な会議を取り仕切ることを選んだのです。その前日に、私はすでに夫を医者に連れて行っていました。その会議中、夫は心臓発作で亡くなりました。罪悪感で麻痺して、私は何ヶ月も働くことができませんでした」

「したがって、私からのアドバイスは、もしあなたがキャリアと家族のどちらかを選択しなければならないことに直面した場合は、最初に家族を選択しなさい、ということです。私たちの仕事は、確かに自尊心と経済的な面でいえばやりがいがありますが、あなたのキャリアはすでにそこにあり、いつでも他の場所でそれを再開することができます。しかしあなたの家族はいなくなったり、子供たちは引っ越したりする可能性があります。すべての成功した女性の背後には、素晴らしい家庭があるのです」

Hoed氏、または友人たちにYayukと呼ばれる彼女は、法曹界で働く女性が、男性とは違う扱いを受けているとは感じていないと言います。「伝統的に、インドネシアの女性は家族を助けたり、夫を支えたりするのが一般的です」と彼女は言います。「しかし、70年以上も前から女性の裁判官、検察官、訴訟担当者がいるにもかかわらず、訴訟ではより多くの男性の弁護士がいます」

「女性弁護士の多くは、企業、商業、銀行、金融の案件に取り組んでいます。対立を好まず、取引が計画通りに進むように支援的な役割を果たすことを好むからでしょう。また、女性弁護士はより忍耐強く、勤勉で、弾力があり、徹底しており、企業や商業、銀行や金融の仕事に必要とされる、すべての資質が備わっているからかもしれません」

「過去10年間に起きた変化は、法曹界の特徴である長時間労働が、若い世代にとってもはや魅力的ではなくなったことです。彼らはよりバランスの取れた生活を望んでいます。以前は、女性弁護士は主な稼ぎ手ではないため、長時間労働に反対した両親や夫から、子育てと家計の管理を優先すべきだと主張されることが課題となっていました。しかし現在では、一見野心的な弁護士でさえ、他人と交流し、クラブに行き、夜遅くまでは仕事をしたくないと考えています」

「30年前、女性弁護士は仕事で出会った異性に、しばしばからかわれたものです。虐待ではありませんでしたが、不適切な褒め言葉や汚いジョークが含まれていました。おそらくそのような行動が、お世辞になるだろうと思ったのかもしれません。または当時はセクハラに文句を言うことがなかったので、仲間意識からそのような行動になったのかもしれません。私は、彼らの発言を無視することで課題を克服し、仕事を続けました。もし度が過ぎた場合は、よそへ行くように言いました」

Hoed氏はMakarim & Taira Sに30年以上在籍しており、同事務所の最上級のパートナーです。ジャーナリストおよびパラリーガルとしての経歴があるため、法律実務のほぼすべての側面での豊富な経験を持っています。

彼女は、企業およびM&A取引、仲裁、雇用、およびプロジェクト・ファイナンスの分野で広く認識されています。数多くの外国大使館、発電所開発業者、リゾート施設所有者、石油・ガス会社、製造業、鉱業のための用地取得の交渉に成功しています。

「私のキャリアの中で最高の瞬間は、数年間、時には10年以上も続いていた取引を成功させることができたときでした」とHoedは振り返ります。「インフラ計画を未開発の状態から手掛けていたので、遅延を避けられないことがよくありました。お客様の土地利用権が延長されたり、長期ローンが返済されて債券が償還されたりしたとき、仕事をうまく遂行させたという勝利を感じました。私のキャリアの中で最低の瞬間は、健全で堅実な抗弁の欠如のためではなく、残念ながらインドネシアではまだ一般的である超法規的措置のために、敗訴したときです」

Covid confidential

「パンデミックは私たちに、減速し、健康や家族など、人生の中で重要なことを優先する必要があるとを思い出させます。弁護士としての私たちの生活は、ジェットコースターのようなものです。期限は非常にたくさんあり、時間は限られています。お客様は昨日のうちに仕事を完了するよう要求し、女性弁護士として、私たちは家庭と仕事を両立つせなければなりません」

「突然、covid-19のために、私たちは家にとどまらなければなりませんでした。プロジェクトが延期されたため、当初は休暇のように感じましたが、その後パンデミックとなり、不安になりました。最初に消毒液をスプレーせずに何かに触れることは決してありません。他の人が部屋にいるときはいつでもマスクを外すことはありません。しかし、在宅勤務を始めて数カ月後、私は自分のリズムを見つけました。重要なのは、朝から働き始めるなどの規律なのです」

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